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1-4. 東善寺と小栗上野介の最期(2025.11.02)


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1-4-1 権田村での64日間
小栗上野介は慶応4年1月28日に幕府へ権田村への「土着願書」を提出し、翌29日に許可を得て帰農準備を始めた。2月28日に江戸駿河台を出立し、3月1日に権田村東善寺に入った。
東善寺は小栗家5代政信公を中興開基とする曹洞宗の寺院で、小栗一家はこの寺に2ヶ月あまり仮住まいをして、観音山に居宅建設を進めた。『小栗日記』によれば、小栗は観音山の普請場へ頻繁に出向き、水路開発工事の手配や建設資材の調達など、新生活への準備を積極的に進めていた。
 特に注目すべきは、3月4日に約2千人の暴徒が押し寄せた際、小栗は家臣と歩兵・村人ら百人を5隊に分けて防御し、暴徒を撃退したことである。これは小栗が単なる隠遁者ではなく、地域の秩序維持に責任を持つ指導者としての役割を果たしていたことを示している。
1-4-2 非道な処刑と後世への影響
慶応4年閏4月5日、西軍原保太郎・豊永貫一郎らに率いられた高崎・安中・吉井三藩が小栗上野介と家来3人を捕縛し、何の取り調べもしないまま翌日朝に水沼河原で斬首した。小栗42歳での死去であった。
東善寺境内の小栗上野介父子と家臣らの墓は、明治初年に権田の村人が建立したもので、正面に小栗父子の墓、左右に家臣と家族、会津で戦死した村人の墓が5つずつ並んでいる。墓右脇には黒椿が植えられ、現在も小栗の功績を偲ぶ人々が訪れている。
東善寺には小栗公遺品館があり、アメリカから持ち帰ったネジや刀、槍、麻裃、小銃などの遺品が保管されている。特にアメリカから持ち帰った1本のネジは、日本の近代工業化への小栗の強い決意を象徴する貴重な遺品である。
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